プログラマーとしてキャリアを積んだ阿部卓矢さんはその後、あらゆるチームのマネージャーとなり、プログラミングとは異なる仕事を行う方向へキャリアアップしていきました。しかし阿部卓矢さんは「プログラミング経験がなければ、その後のキャリアには繋がらなかっただろう」と語ります。プログラミングを学んだ先の将来像とはどんな形でしょうか。阿部卓矢さんのキャリアとこれまでの学びについて、明かしてもらいます。
略歴
三菱総研DCS株式会社にて、システムエンジニア、プロジェクトマネージャを経験。その後、新規ビジネス企画に関与。
楽天株式会社にて、広告システムのプロデューサーを経て開発チームのグループマネージャに従事。楽天の広告配信管理プラットフォームの責任者として、多国籍メンバーによるエンジニアチームをマネジメント。
その後、UiPath株式会社の日本法人設立のタイミングで1人目の技術メンバーとして参画。技術コンサルティングチームの立ち上げと拡大を主導。執行役員プロフェッショナルサービス本部長として、数多くの大規模RPAプロジェクトを支援し日本企業のDX推進に貢献。
現在は、次のステージに向けて鋭意準備中。
プログラミングとの出会い
Q. 大学および大学院ではどのようなことを学んでいたのですか?
元々物理学を専攻していました。高校で初めて物理を勉強した時に、世の中の法則を数式で説明できるということに感動して、それで物理に興味を持ちました。その後は千葉大学の大学院で素粒子論の研究室に所属していました。素粒子論は物理学の基礎になる研究を行っている分野で、素粒子論は、この自然界が何からできていて、どのような法則に従っているかを明らかにすることを研究対象とする分野です。量子色力学という電磁気学を一般化したような理論があって、その理論を用いた研究を行っていました。私が初めてプログラムを作ったのは、調べていた論文にある予測が実際にあっているのか確かめる計算を行うためでした。
Q. プログラムを初めて組んだときはどう思いましたか?
とても興味深いと感じました。自分が考えたものが動いて、実際に結果が出るというのが楽しく感じました。自分の考えた通りにものが動くというのは嬉しいですね。今でも(新しく学んだプログラム言語で)「Hello World!!」と出力されるだけで嬉しいです笑。元々工作やパズルが好きなのですが、プログラミングにはそれと近いものを感じ、楽しいと感じました。また、今後ますます様々なものに活用されていくだろうという可能性も感じました。機械であれば、材料を集めたり、組み立てたりしなくてはいけませんが、プログラムは自分の頭を使えば動くものが作れるという点が魅力的でした。
Q. IT系に進んだきっかけは何だったのですか?
ITを選んだのは、ものづくりがしたかったからです。目に見えて動くものを作りたかったんです。また、作ったら終わりではなく、何度も手直しして自分の納得行くものを作ることができるソフトウェアの分野に魅力を感じました。大学院での研究は知的好奇心を満たしてくれ、とてもやりがいを感じていました。一方で、自分が研究者としてキャリアを築いていくことの難しさも感じていました。研究は、一握りの人だけが一生をかけてようやく結果を出せるかどうかという世界です。自分は新しいことに目移りする性格でもあるので、やったことへの結果が早く反映されると考えIT業界を選択しました。
三菱総研DCSへの就職
Q. 初めの就職先ではどのような仕事をしていたのですか?
私が初めに就職したのは三菱総研DCSという企業で、新卒の時はJavaの研修が行われていました。研修中は今のようなプログラミング用のエディタは利用させてもらえず、テキストエディタで開発する必要がありとても大変だったのを覚えています。そんな中、私は自動でプログラムのテンプレートを生成するプログラムを作って効率化を図っていたので、同期の中で課題を解くまでの時間がほとんど一番だったのを覚えています笑。
研修を終えた後、1年目はプログラマーとして仕事をしていました。出版業界のシステムで、書店からの注文があった際に注文内容を確認して出荷するためのシステムを担当しました。また2年目頃になると、同じプロジェクトで標準化という仕事を担当するようになりました。チーム開発では、チームメンバーによって使われるコンポーネントの配置や動作がばらばらになって統一感が損なわれたり、コードの重複による生産性低下といった問題が起きがちです。そのようなばらつきを防ぐために、プロジェクト内での開発のルールを定めたり共通部品を作成することで開発者の支援を行うのが標準化です。
3年目にはアーキテクトと呼ばれる、開発に用いるプログラミング言語やフレームワーク、クラス分割の仕方などの枠組みを決める仕事をし、不動産の社内ポータルサイトの開発プロジェクトなどを担当しました。
4年目にはプロジェクトマネージャーを任されました。システム開発プロジェクトの予算見積もりを行ったり、開発計画を立ててチームメンバーのタスク管理なども行います。普通は社会人4年目でプロジェクトマネージャーを任されることはあまり無いと思うのですが、担当していた業界のプロジェクトの規模が比較的小さく、開発期間も3ヶ月から半年と短かったために、任せてもらえたのだと思います。また、小規模であるおかげで、システム開発のライフサイクルを一通り経験できたのも大きかったと感じています。大規模な金融系のシステムのような開発プロジェクトでは、プロジェクトの全体のほんの一部分しか経験できません。例えるなら、実物大のガンダムの場合、足のつま先のちょっとした部分を作るくらいしか担当できないんです。一方で小規模なプロジェクトであれば、プラモデルのようなサイズのガンダムではありますが、そのすべての設計・開発に関わることができます。全体感を持ってプロジェクトに取り組んだ経験はその後の自分のキャリアの基礎になっていると感じます。
三菱総研DCSで5年ほど働いたのち、楽天に転職をしました。
Q. 三菱総研DCSでの学びはなんでしたか?
三菱総研DCSでは特に、チームで開発することの大切さを学びました。50人くらいのチームになると、システム開発が成功するかどうかはマネジメントの仕方によって大きな違いが出るんです。ですから、技術を活用してチームの生産性やプロダクトの品質を上げることの大切さに気づきました。良い設計に終わりは無いんです。当時はWebアプリケーション開発のフレームワークやデザインパターンといったことに特に興味があり、本を読んで勉強していました。Javaの資格を複数取得したことに加えて、情報処理試験のデータベーススペシャリストという資格も取りました。
転職を通したキャリアアップ
Q. その後のキャリアについて教えてください!
はい、私は三菱総研DCSで5年ほどキャリアを積んだのち、転職をしました。転職先は楽天です。
Q. なぜ転職をしたのですか?
三菱総研DCSはいわゆるSIerと呼ばれるシステム開発会社ですから、お客さんの求めるものに合わせた開発をすることになります。そうなると、受身的な仕事になってしまいがちで、なかなか自分のやりたいことができませんでした。当時の私はとにかくWebアプリケーションがイケてると思っていて、どうしてもそれに関わる仕事がしたかったんです。それで、自分のやりたいことをやるには自社サービスを持っている会社の方が良さそうだという考えで楽天に転職しました。
楽天ではプロデューサーとして仕事をしていました。プロデューサーはコーディングをするわけではなく、ビジネスとエンジニアの橋渡しをするような仕事です。相対する事業部の方から要望や課題を聞き、その解決手段を実現するようなシステム開発の企画やプロジェクトをマネジメントするような仕事が中心でした。
Q. かなり早いペースで出世されているような気がしますが、その要因は何なのでしょうか?
そんなことありませんよ笑。でも結果を出せていたとしたら、プログラミング経験があることは役だったと思います。プログラミングの経験があったことで、システムの実現手段の検討や課題の対応など、表面的な理解にとどまらずに、ある程度詳細を理解して意思決定をしていく事ができました。プロジェクトのライフサイクル全体に関わった経験もあり、プロジェクトの各フェーズの進め方なども過去の経験を活かすことが出来ました。また、楽天ではスピード感を持って仕事をするという文化が強く根付いており、とにかくスピード優先で仕事をすることが求められていました。私の場合は三菱総研DCSで堅実な仕事の進め方を学んできました。守破離の考え方で、堅実を基礎として楽天流にカスタマイズしてスピード感を出すような仕事の仕方をしたことが、楽天での価値発揮に繋がったのだと感じています。
Q. その後はどのようなことをされていましたか?
楽天でプロデューサーとして仕事を進めていくうち、徐々に管轄するチームが大きくなっていきました。最終的には1つのシステムの責任を持つ、グループマネージャーになりました。その後、三菱総研DCS時代の上司にUiPathというRPAの会社が日本法人を立ち上げるという話を紹介され、これから成長していく分野で新しいことにチャレンジしたいという思いもあり、転職しました。UiPathの日本法人では最初のエンジニアが私だったので、最初は技術関連のことはなんでもやりました。
Q. 楽天、UiPathを経てどんな学びがありましたか?
チームマネジメントをするようになってから、プレゼンやロジカルシンキング、チームメンバーのモチベート方法など、ビジネス系のスキルを積極的に学ぶようになりました。特に楽天ではいろんな国のメンバーでチームが構成されていたので、システムだけではなく人の問題も多く、多種多様なチームメンバーをマネジメントしていくのが大変だったと記憶しています。しかし楽天もUiPathも優秀な人が多く、難易度の高い問題についてチームで考え、解決策を見出していくというプロセスが楽しかったですし、マネジメントについて多くのことを学びました。また、責任の大きい立場になるにつれ、組織の運営に興味が移っていきました。UiPathでは、サステナブルな組織の実現をしたいという思いがありました。つまり、1年や2年といった目先のゴールの達成だけでなく、5年や10年といった長期視点で確実に成長していくようなチームを作りたかったんです。そのため、チームビルディング、目標管理、マネージャーやメンバーの育成に主眼を置き、メンバーが充実感を感じて楽しんで仕事をできるような環境づくりと数字の達成を両立できるようにチームを導くことに努めました。
阿部さんのこれから
Q. 現在はUiPathを辞められていますが、今後はどのようにしていきたいですか?
また、新しいことにチャレンジしていきたいと考えています。今は人生100年時代と言われています。そしてこれから、仕事を80歳くらいまで現役で仕事を続けられる時代が来るとも思っています。そう考えると、今までに学んだスキルだけに頼って年齢を重ねていくのは危険だと思うんですよね。80歳まで働くことを見通して新しいことを身につけていきたく思うと共に、ライフワークにできることを探していきたいです。
最後に
Q. 最後に、現在プログラミングを学んでいる人、これから学ぶ人に向けて、メッセージをお願いします。
世の中の多くの問題は、技術によって解決されていくと思います。今までもそうであったし、これからはその勢いが増していくはずです。そしてプログラミングを学ぶことで、あなた自身が解決できる問題が増えると思います。プログラミングは世の中を変えられる手段だと私は感じています。ですから、ぜひプログラミングを学んで、皆さんが解決したい課題にチャレンジしてください。応援しています。